「自分語り」は余計なアンチを作る
こんにちは、チナスキーです。今回の「風俗ブログのためのブログ」のテーマは「自分語り病」。ブロガーを含む、表現を公にする人達を「死」に至らしめることもある疾患です。自らについての話が言葉の暴力化し、他人に鬱陶しさや嫌悪感を与えるというのが典型的な症状です。
もちろん、表現活動とは無関係の一般の人々も発症します。一般人の場合、自分よりも弱い(と本人が信じている)相手に対して、また、男性は女性に対して話すときの方が症状が強くなる傾向があります。
多くの場合で慢性化していて、回復するケースもあれば、ゆっくりと長い時間をかけて悪化するケースもあります。特効薬はありませんが、自分より症状が酷い人を見る、説教をされる等で症状が改善されたという報告も少数ながらあります。男性は中年以上、女性は若い世代で発症する確率が上がります。
先日、森三中・大島さんの出産の様子がテレビで放映されました。この放送について、「子供を産みたくても産めない女性への配慮が足りないと批判が殺到していること」が話題になっていました。私が見たのはある週刊誌のメディア版に掲載された村岡タクミ記者の記事でした。
これに対して、乙武洋匡さんが以下のようにコメントしています。
※Twitterより抜粋
乙武さんのコメントもまたWebメディアで取り上げられていました。私が見たサイトでは、読者がコメントを投稿できるようになっていました。乙武さんのコメントに賛同する意見は多い一方で、「自虐ネタ」と揶揄するコメントもいくつかありました(数は少ないですが)。
やっぱり、と思ったんです。ネットで自分を引き合いにして何かを語ると反発を受けることになります。
村岡タクミ氏の記事は突っ込みどころが多く、身体障害を例にしなくとも、乙武さんと同じようなことが言えます。
健康食品のCMでおじいちゃんが、「おかげで孫と楽しく遊べるようになりました」と言えば、寝たきりの老人、孫がいない人達、孫と一緒に暮らしていない人達への配慮がない。みのもんたをTVに出せば、セクハラに苦しむ人達への配慮がない。カモの親子を放映すれば、矢ガモへの配慮がない。私のブログは勃起不全に苦しむ人、風俗に行く余裕がない人への配慮がない。
村岡理論を用いれば、世の中にあるほぼすべての表現が、何かへの配慮に欠けるものになります。例を挙げたらキリがありません。乙武さんは自分以外の何かを引き合いにすれば、不要な反発を受けなかったのではないでしょうか。
ここにブログを書く上でのヒントがあります。
ブログは一般的には個人が自分の好きなことを書くわけなので、文章は主観的なものになります。どうしても、「自分はこういう人間だから」「ほら、僕って変態さんじゃないですかー」という自分語りをしてしまいがちです。しかし、自分自身について語るのと、自分が見聞きしたことを語るのは違います。芸能人でもないあなたに読者が求めるのはどちらですか?
自分語りが強過ぎると、読み手に鬱陶しさを与えます。「はいはい、分かった、分かった」と言いたくなる点で、知ったかぶりが与える鬱陶しさと似ています。その鬱陶しさが余計なアンチを生み出すわけです。
先に私は、
私のブログはEDに苦しむ人、風俗に行く人への配慮がない。
と書きました。これは自分語りの典型的な手法で、自分で書いて、それに突っ込むポーズをわざわざ読者に見せるやり方です。消したいなら書かなければいいのに、書かないわけにはいかない。取り消し線は照れ隠しですが、その照れ隠しさえ見せたいのです。このような表現のすべてとは言いませんが、9割は見苦しく見えるので、やらない方が賢明でしょう。
ブログなんて、何を言ってもその人がどういう人物か染み出てしまうものです。ことさらに自分を語る必要はありません。むしろ、自身の人格を隠し、自分のことを語るときは淡々と他人事のように書くくらいが、読み手にとってちょうど良いのです。
色々なブログを見ていると、自己顕示欲の強い人は余程の天才型(着眼点が人と違う、人々を引き付ける文章が書ける等)か特異な人生を歩んでいる人でない限り、ブロガーには向いていないように思います。ブロガーに向いているのは興味が他人に向く人ではないでしょうか。
もちろん、どのように表現をするか、どのような文章を書くのかは個性であり自由です。何が正解かなんて、恐らくないのでしょう。しかし、より多くの読者に継続的に読まれたいのであれば、この乙武さんの一件は参考になるはずです。写メ日記を書く女性にも参考になるでしょう。
以下、本題とは関係のない話です。
村岡タクミ氏のこの記事、当の大島さんより、もちろん乙武さんよりも、多くの批判を受けているように見えます。でも、この人も分かって書いているのではないでしょうか。つまり、リテラシーの低い人々向けに扇情的な記事を書くことを職業としている人なのだろうと思うわけです。ただ、この人が想像していた以上に人々はリテラシーが高く、大半の人々は村岡氏の記事に引っ掛からなかったのです。
「本当に批判が殺到しているのか」ということに疑問を持って、調査をしている方がいました。下のブログです。
「産めない女性に対して配慮がない」で非難殺到・・・って本当?ということで調査しました
手作業による調査らしいのですが、Twitterでは「配慮がない」という意見は見当たらず、とても「非難殺到」と呼べる状況ではなかったそうです。
記事の内容は村岡氏の本音というよりも仕事であり、編集側の意向によるものという可能性もあります。村上氏の記者としての能力に関係なく書かれた記事なのかもしれません。そういう意味では、この方もかわいそうな人なのです。本当は池上さんや鳥越さんのようになりたかったのではないでしょうか。まあ、能力があれば、こんなしょーもない記事を書く立場には追いやられないとは思いますが。
これに対して、乙武洋匡さんが以下のようにコメントしています。
すごい言いがかりだな。「健常者をテレビに映し出すなんて、手足のない人に対して配慮がない!」とか言い出す人が出てきたらどうするんだ(笑) / 「産めない女性に対して配慮がない」森三中・大島の出産シーン放映に非難殺到 - http://t.co/dxts1Iz4Y8
— 乙武 洋匡 (@h_ototake) 2015, 7月 4
※Twitterより抜粋
乙武さんのコメントもまたWebメディアで取り上げられていました。私が見たサイトでは、読者がコメントを投稿できるようになっていました。乙武さんのコメントに賛同する意見は多い一方で、「自虐ネタ」と揶揄するコメントもいくつかありました(数は少ないですが)。
やっぱり、と思ったんです。ネットで自分を引き合いにして何かを語ると反発を受けることになります。
村岡タクミ氏の記事は突っ込みどころが多く、身体障害を例にしなくとも、乙武さんと同じようなことが言えます。
健康食品のCMでおじいちゃんが、「おかげで孫と楽しく遊べるようになりました」と言えば、寝たきりの老人、孫がいない人達、孫と一緒に暮らしていない人達への配慮がない。みのもんたをTVに出せば、セクハラに苦しむ人達への配慮がない。カモの親子を放映すれば、矢ガモへの配慮がない。
村岡理論を用いれば、世の中にあるほぼすべての表現が、何かへの配慮に欠けるものになります。例を挙げたらキリがありません。乙武さんは自分以外の何かを引き合いにすれば、不要な反発を受けなかったのではないでしょうか。
ここにブログを書く上でのヒントがあります。
ブログは一般的には個人が自分の好きなことを書くわけなので、文章は主観的なものになります。どうしても、「自分はこういう人間だから」「ほら、僕って変態さんじゃないですかー」という自分語りをしてしまいがちです。しかし、自分自身について語るのと、自分が見聞きしたことを語るのは違います。芸能人でもないあなたに読者が求めるのはどちらですか?
自分語りが強過ぎると、読み手に鬱陶しさを与えます。「はいはい、分かった、分かった」と言いたくなる点で、知ったかぶりが与える鬱陶しさと似ています。その鬱陶しさが余計なアンチを生み出すわけです。
先に私は、
と書きました。これは自分語りの典型的な手法で、自分で書いて、それに突っ込むポーズをわざわざ読者に見せるやり方です。消したいなら書かなければいいのに、書かないわけにはいかない。取り消し線は照れ隠しですが、その照れ隠しさえ見せたいのです。このような表現のすべてとは言いませんが、9割は見苦しく見えるので、やらない方が賢明でしょう。
ブログなんて、何を言ってもその人がどういう人物か染み出てしまうものです。ことさらに自分を語る必要はありません。むしろ、自身の人格を隠し、自分のことを語るときは淡々と他人事のように書くくらいが、読み手にとってちょうど良いのです。
色々なブログを見ていると、自己顕示欲の強い人は余程の天才型(着眼点が人と違う、人々を引き付ける文章が書ける等)か特異な人生を歩んでいる人でない限り、ブロガーには向いていないように思います。ブロガーに向いているのは興味が他人に向く人ではないでしょうか。
もちろん、どのように表現をするか、どのような文章を書くのかは個性であり自由です。何が正解かなんて、恐らくないのでしょう。しかし、より多くの読者に継続的に読まれたいのであれば、この乙武さんの一件は参考になるはずです。写メ日記を書く女性にも参考になるでしょう。
以下、本題とは関係のない話です。
村岡タクミ氏のこの記事、当の大島さんより、もちろん乙武さんよりも、多くの批判を受けているように見えます。でも、この人も分かって書いているのではないでしょうか。つまり、リテラシーの低い人々向けに扇情的な記事を書くことを職業としている人なのだろうと思うわけです。ただ、この人が想像していた以上に人々はリテラシーが高く、大半の人々は村岡氏の記事に引っ掛からなかったのです。
「本当に批判が殺到しているのか」ということに疑問を持って、調査をしている方がいました。下のブログです。
「産めない女性に対して配慮がない」で非難殺到・・・って本当?ということで調査しました
手作業による調査らしいのですが、Twitterでは「配慮がない」という意見は見当たらず、とても「非難殺到」と呼べる状況ではなかったそうです。
記事の内容は村岡氏の本音というよりも仕事であり、編集側の意向によるものという可能性もあります。村上氏の記者としての能力に関係なく書かれた記事なのかもしれません。そういう意味では、この方もかわいそうな人なのです。本当は池上さんや鳥越さんのようになりたかったのではないでしょうか。まあ、能力があれば、こんなしょーもない記事を書く立場には追いやられないとは思いますが。